松尾和美 (歌手)

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松尾 和美(まつお かずみ 本名同じ、1965年12月19日 - )は日本の歌手ラジオパーソナリティー福岡県福岡市博多区出身。私立明治大学付属中野高等学校夜間部卒業。A型。所属芸能事務所はリップス・プロモーション。

プロフィール[編集]

幼少時から歌には興味があり、日本テレビ系で放送されていた人気子供番組『おはよう!こどもショー』内で、大村崑が司会を担当していた歌のコーナーである『こんちゃんのトンカチ歌自慢』に出場した。18歳の時、親の意向により1983年作曲家船村徹の門下生となり、同年に「釧路川」で日本クラウンからデビューした。同時に演歌アイドル歌手(演ドル)としても活躍する[1]。レコード会社との契約が終了した1992年の9年間に、合計7枚のシングルを発売した。歌手活動の傍らタレントやラジオパーソナリティーで活躍し、他にも探偵業に従事したこともあった。

2005年5月に、13年振りの新曲となるシングル「哀愁ベイ・ロード」を発売している。現在は歌手としてプロモーションやライブ活動を定期的に行っており、またラジオ番組にゲスト出演するなど幅広く活躍している。

シングル[編集]

1.、3.〜7.は日本クラウンのクラウン・レコード・レーベルから、2.は日本クラウンのパナム・レーベルから、8.はフリーボードのフリーボード・レーベルから発売されている。

  1. 釧路川(1983年5月21日、CWA-174)
    • 作詞:園部甲治 補作詞:新本創子 作曲:船村徹 編曲:丸山雅仁
    • NHK釧路放送局開局50周年記念曲であり、作詞の方は一般公募されている[2]
    • B面の「白馬のルンナ」は船村の過去の作品から録音することになり、当時の所属事務所である社長と松尾本人で選曲した[3]
  2. 恋人たちの島 / 不思議なグラビテーション(1984年6月20日、CWP-46)
    • 作詞:福田三月子 作曲:山下透 編曲:山屋清
    • 作詞者は、後に真名杏樹としても数々のヒット作品を手掛けた船村徹の実娘であり、作曲した山下透は数多くの楽曲を手掛けた山下毅雄の次男である[4]。当時、ジャケット写真は逗子マリーナの方で撮影された[5][6]
  3. 酔っぱらっちゃった(1985年2月21日、CWP-278)
    • 作詞:千家和也 作曲:浜圭介 編曲:長谷川英郎
    • オリジナルは1982年に発売された内海美幸のシングルのカヴァーで、B面はカラオケ。
    • この作品の発売が縁で、千家和也・作詞、伊藤薫・作曲により2曲制作されるが、シングルA面としての発売には至らず。このうちの1曲「殿方よお戯れはなし」の歌詞は一部改詞され、松尾と同じ船村門下生である香田晋のシングルとして1999年に発表された[7]
  4. めいっぱいのラブ・コール (1987年7月21日、CWA-423)
    • 作詞:大矢弘子 作曲:井上かつを 編曲:武市昌久
    • この曲発売の年から2005年頃まで、18年以上の長期間に渡り担当したマネージャーと活動を共にし、精力的なプロモーション活動が展開されている[8]
  5. えらいこっちゃで(1989年7月21日、CWA-522)
    • 作詞:多田宗之介 作曲:宮路オサム 編曲:伊戸のりお
    • この曲とB面「ウィークエンド」の作詞、作曲者は共に殿様キングスのメンバー。当時レギュラー番組で共演していた。
    • 編曲者はこの後に氷川きよしの一連の編曲・作品等で一躍名が知られるが、これは当時ヤマハ音楽振興会所属だった伊戸と、クラウンレコードが初めて仕事をする中で制作された数曲の内の一曲である。なお、伊戸が編曲した初のヒット曲であるオヨネーズの「麦畑」は、翌年の1990年の作品であった[9][10]
  1. あなたと歩いたヨコハマ(1991年3月21日、CRDN-72/CRSN-72)
    • 作詞:みなみらんぼう 作曲:秋山豊 編曲:高田弘
    • オリジナル曲は、1974年にクラウンレコードから発売予定であった歌手[11] のシングルである。しかし歌手の都合でプロモーションが中断し、レコードの発売は中止された[12]
    • 新たに着任したディレクターと当時の宣伝担当が当時この曲に携わっており、志半ばにして断たれた無念を晴らすべく改めて松尾に歌わせ、発売したこの曲が第1弾として選ばれている[13]
  2. 宗右衛門町ブルース / 花散る里(1992年6月21日、CRDN-136/CRSN-136)
    • 作詞:平和勝次 作曲:山路進一 編曲:小杉仁三
    • オリジナルは1972年平和勝次とダークホースのシングルである。
    • この曲をリリースした後になるが、レコード会社に対してプロモーション体制への不信感が持ち上がり、松尾側の方から契約の打ち切りを通告した[14][15]
    • B面「花散る里」は、瀬川瑛子が出した2006年のシングル「花散里」とは別の曲である。
  3. 哀愁ベイ・ロード(2005年5月25日、FBCM-35)
    • 作詞:足立貞敏 作曲:トーダ幹 編曲:宮本光雄
    • 発売前の新譜案内に掲載されていたタイトルは「あまのじゃくの子守歌」だったが、発売時には「酔いぐれ子守唄」として2曲目に収録された「哀愁ベイ・ロード」がタイトル曲に昇格という形になっている。

ラジオ番組[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 同期には主に松本明子河上幸恵吹田明日香大沢逸美桑田靖子柳沢純子などがいる。
  2. ^ 作詞は一般公募された上で推薦した結果、当時北海道で教師をしていた園部の作品が選ばれ、それに新本が補作詞をして船村が曲を付けた。
  3. ^ 松尾の事務所の社長は当初「白馬のルンナ」という曲はやはり最初に歌った内藤洋子の印象が強いから、(選曲の)候補にはしないからね」と約束したにもかかわらず、最終的にこの曲となった。この時は正直、社長との約束(たとえ口約束だったとしても)があっさり覆されたことに困惑してしまった。
  4. ^ 山下は商品化された音源を実際に聴いてみた時、楽曲を納品した際に山下自身が作成したデモテープのアレンジとほとんど同じであったことに正直、驚いてしまったと語っている。
  5. ^ しかし背景はほとんどトリミングされたために、撮影に行った意味が無かったという。
  6. ^ また松尾自身の写真映りが好ましく無いという理由があり、この作品のジャケットを気に入っていない。
  7. ^ また、もう1曲「色あざやかに」も次のシングルのB面曲として採用されている。
  8. ^ レーザーディスク用のカラオケ専用ビデオをこの作品で初めて制作されている。
  9. ^ この作品を最後に、長年ディレクターを担当した伊藤から別のディレクターに交代する形となった。
  10. ^ なお、伊藤ディレクターはこれまでに瀬川瑛子など、大物の演歌歌手に多く携わっていることもあり、この交代についてはとても残念だったと振り返っている。その後に伊藤が担当した歌手は、この年デビューした新人の渡辺博美(後の鹿島ひろ美)である。
  11. ^ 秋山浩子という女性歌手であり、デビュー前に引退している。その理由や詳細などは不明。
  12. ^ 更に本人もそのまま歌手を退いてしまうという、曰く付きの作品でもあった。
  13. ^ B面である「去来」は、カップリング用として新たに作られた新曲である。
  14. ^ この後は原盤制作やライブ・営業活動は継続したものの、この曲が収録されたCDなどの発売が出来なくなるという封印期間が発生してしまう事態となり、結局13年間もの長期間に渡り続くことになった。
  15. ^ なお、封印された期間は1992年〜2005年となっている。
  16. ^ ※現在、番組冒頭のタイトルコールのみ担当している。

関連項目[編集]